中日问题毕业论文
中日问题毕业论文
向为李鸿章所倚重的北洋舰队竟会在甲午海战中败给日本,这是李鸿章及其他清朝统治者所万万料想不到的。他们虽然对西方列强畏之若虎,但对日本却从没用正视的眼光去打量过它,因为臣伏了千年的小小岛国,不过是个蛮夷小邦,是决没有掀起黄海千尺浪的能耐的。然而就是这么一个蛮夷小邦掀起了千层浪,掀翻了清政府赖以自慰的新式海军——北洋舰队,使清朝的海岸线一下子暴露在正觊觎中国这块肥脔的列强的眼前。 那么究竟是什么使号称亚洲第一、世界第六的舰队如此不堪一击呢?这,值得我们深思。北洋舰队是洋务运动的产物。19世纪60年代到90年代,以曾国藩、李鸿章、左宗棠、张之洞等人为代表的开明地主为了挽救清王朝濒危的统治,提出“师夷长技以自强”、“中学为体,西学为用”的口号,学习西方先进科学技术,用于壮大中国的经济、军事实力。终于,在80年代中期,北洋、南洋、福建三支海军初步组建完成,其中以北洋海军的实力最为雄厚。但是虽然引进了先进的舰只,军队的管理模式却依旧陈旧、僵化。这支舰队自组建以来就很少进行训练演习,舰艇也不知保养,以至于炮管上经常晾满水兵的袜子,炮筒中一摸一把黑灰。曾有一位日本将领参观舰队后说:“这种舰队,吨位再大也是没用的。” 为什么有了舰队却不训练呢?其原因在于清政府根本就不重视舰队的存在与发展。在他们眼中,这支舰队只是用来向世人显威的、自欺欺人的工具。再加上慈禧大搞“万寿庆典”挪用了海军的军费,极度紧缺燃料、弹药成为舰队不得不面对的严峻现实。在关键的时刻,英美等国也从中作梗,把质量低劣甚至根本无法使用的炮弹出售给中国。因此,北洋舰队在海战中吃亏很大。 中日甲午海战的失利最终又使中国套上了《马关条约》这一沉重的枷锁。随着条约的签定,外国列强极大地加紧了对中国的输出和原料掠夺,外国势力进一步控制了中国的政治、经济,成了清政府的“太上皇”。 甲午中日战争后,素来夜郎自大的清朝统治者不得不对昔日的蛮夷小邦刮目相看。中国的仁人志士更是为此苦苦思索日本强盛的根源。 日本的近代化始于1868年的明治维新。当时以明治天皇为首,中下层武士为主的倒幕派以暴力推翻了幕府统治,阻碍日本走上近代化道路的最大毒瘤被割除了。通过大刀阔斧地改革,如废藩置县、改革土地制度推行“文明开化”政策等,摆脱了封建制度对资本主义发展的束缚,走上独立发展的强国之路,在加快经济发展步伐的同时,它还进行了政治制度的改革,建立起近代天皇制,由封建君主政体转变为君主立宪政体,由天皇颁布的《大日本帝国宪法》也赋予了公民以言论、集会、出版、结社的自由。日本还顺应时代潮流,大力吸收了第一次和第二次工业革命所带来的丰硕的科技成果,并使之转化为促进经济发展的强有力的动力。垄断组织的形成及壮大,促使日本于20世纪初向帝国主义过渡。为解决资本主义发展过程中的矛盾和转移人民斗争的视线,日本出台了“大陆政策”,把中国和朝鲜划入了其“利益线”范围。 而此时清朝的洋务派们却只知引进技术和设备,对于政治制度却视而不见。他们认为中国的封建制度是完美的,是先圣们制定出来的,一旦涉及到政治制度的彻底改革不仅损害到他们自身的利益,还会遭来由于亵渎祖先而带来的灭顶之灾。这种主观上的桎梏影响了洋务运动的进程及其发挥的作用,无法形成中国近代完整的工业基础和新的生产关系。洋务运动所创办的学校虽然引进了一些新的教育形式,但仅限于与“师夷长技以制夷”有关的内容,未能从真正意义上建立起近代教育体系。这一切都决定了洋务运动以失败而告终的结局。 众所周知,一个国家的强盛与其经济基础是密不可分的。在当代社会,凡是在国际事务中指手划脚、甚至粗暴动武干涉他国内政的无不是一些经济发达的国家,正因为有了强大的经济后盾,他才有胆量冒天下之大不韪而行事。 前事不忘,后事之师,甲午战争惨败的钟声时时撞击,提醒整个中华民族清醒地面对中华发展之大计。 新中国历经五十年,特别是近二十年的奋斗,开创了经济腾飞的新局面,但问题与不足却仍不容忽视。虽然中国有了如此辉煌的业绩,但却不是世界强国,没有在国际事务上充当主角的能力。而且随着日本经济的崛起,日本右翼势力掀起历史逆流,使中国和亚洲的和平面临挑战。 腐败与落后是甲午战争失败的根本原因。经济决定一切,腐败的政治、落后的生产力必将导致经济的衰弱,从而把民族、国家引向败亡的深渊。 中国经济的发展推动了各方面如政治、军事、文化的突飞猛进。九七年的金融风暴中,中国站住了,站稳了,经受住了冲击,说明中国经济已具备了一定实力。随着中国加入世贸组织,中国的经济将进一步走向世界,将再掀起国内经济发展的新高潮。而且随着中国的综合实力的进一步增强,中国的国际地位会大大提高,她将是稳定亚太乃至世界的镇石。 世界局势,风云莫测,中国既面临机遇,又面临挑战。中国只有抓住机遇,深化改革,坚持两个文明建设,消除腐败,稳定社会。把建设有中国物色的社会主义事业全面推向21世纪,振兴中华民族,才是中华发展之大计。
关于中日关系的议论文 并表达要灭了日本的决心(初中作文,不用太深)可原创摘录
小议中日关系
我们学习中国近人史的时候,上课气氛可不是一般的活跃.一提及中日甲午战争,南京大屠杀,细菌战……每一个人的每一个部位每一个细胞都将敏感起来,活跃起来,如同一群发疯的狮子,喷出的口水都会淹死人!每个人的神经都绷得紧紧的,如果无们面前有一个日本人,想必会死得很惨。
似乎一切都是日本人的错!
不是我所种的树的枝条喜欢向外伸,而是那枝条也看不惯了。一枚图章,可以压弯人的腰,按低人的头,造就一副卑躬屈膝,趋炎附势,不顾面子上下打点的丑相;一个称号,可以折断人的脊梁,磨圆有人棱角,把有正义感的正常人变成毫无主见的走狗;一张花纸片,可以撕破清高的防护,击溃道德底线,造出一只只谋求不义之财的黑手;一把钥匙,可以玷污人的良心,扭曲人的观念,颠倒黑白,混淆是非……
正因为他们,才让当时的日本人有机可乘,更加猖狂,更加为所欲为,胡作非为。
如今,一提及日本、日本人,我们的第一个念头,第一个浮现在脑海里的字就是——坏。这虽然体现了我们的爱国,但也不能一概而论。我们不能把对当时一代日本人的愤怒之情延续到后一代日本人的身上,因为至少他们是无辜的。我们总是说要报恨,但是俗话说得好:“冤冤相报何时了!”
但是对于日本政府不承认侵略中国的罪行,篡改教科书,日本前首相小泉纯一郎多次参拜靖国神社的一系列事件,我们是不能容忍的,我们应该正确看待,合理处理,不能乱了方寸。
我们要打回去,为自己讨回公道……”那些只能是一时的气话,不能当真,如果我们以牙还牙,那不是与当时的日本人一样了吗?而且打起仗来受苦还是老百姓,老百姓可是无辜的啊!
“人活一口气”,不错,人生值得留住的或许仅仅是这“一口气”,或者说是一种精神支柱。只要它深深扎根地下,人生这棵大树就能枝繁叶茂,果实累累。
但愿,当站在十字路口时,所有的人都能留住该留住的东西。
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国际観光における中日交流の现状と课题
目 次
序论
第1章 中日観光交流の背景と现状
第1节 中国における国际観光客の定义
第2节 新中国成立后、中日観光交流の展开
第2章 访日中国人観光客受け入れの现状
第1节 中国観光のアウトバウンド市场の动向
第2节 中国人の日本旅行
第3章 访中日本人観光客受け入れの现状
第1节 日本観光业におけるアウトバウンドとインバウンドの不均衡
第2节 日本人の中国旅行
第3节 2008 年北京五轮と2010 年上海万博
第4章 国际観光おける中日観光交流
第1节 中日観光交流の実例
第2节 访日修学旅行における若者交流
第3 节 中日観光交流の问题点
第5章 中日観光交流における将来への提言
结论
参考文献
研究のテーマ
「国际観光における中日交流の现状と课题」
研究の方法
まず、新中国成立后、中日観光交流の歴史と背景を述べる。それから、中国観光のアウトバウンド、インバウンドの実态と日本観光のアウトバウンド、インバウンドの実态などを把握し、中国のアウトバウンド志向と日本のインバウンド振兴により、中日観光交流の繋がりがより一层结び深くなりつつあるという现状を明らかにする。そして、両国间に観光交流の実例を挙げて、交流の特徴、结果、感想及び问题点などを述べる。また、问题点の成因を分析し、解决策と今后の提言を述べる。
役に立つ资料を手に入れるために、観光に関连する书籍、雑志、先行论文などの文献を参考にする上、中日観光関连するホームページも调べ、最新のデータを収集、分析し、古い资料を更新する。
论文の构成
本论文は、序论、第 1 章から第5 章、结论の顺に构成している。
序论
21 世纪は観光ビジネスが花形产业の一つであるといわれている。先进诸国であれ発展途上国であれ、観光はその発展形态に违いはあるものの、世界各国に共通して一层盛んになっている。観光振兴や観光交流は、世界各国において地域振兴のための重要な柱の一つとなっている。
中日両国にとって、今后、中国のアウトバウンド志向と日本のインバウンド振兴により、中日観光交流の繋がりがより一层深くなるであろう。そこで、本论文では、両国の国际観光业の现状、その中での中日観光交流の现状に着目し、今后、両国の観光业がさらなる発展を遂げるために、取り组むべき课题を见出すことを目的とする。
第1章 中日観光交流の背景と现状
1949 年中华人民共和国の成立から1972 年国交回复までの20 数年间、中国と日本の国交は正常化されなかったとはいえ、両国间の民间レベルの交流は完全迹绝えることがなかった。この时代の交流は、“友好动机による観光行动”というもので、日本からは数多くの民间友好団体、个人、民间経済関系者、また少数の政府官庁の非公开访问団が中国を访れた。
1972 年の国交正常化を机に、中日両国の観光交流は新たな段阶を迎えることとなる。それ以后、一般観光客が交流の担い手として前面的に登场するようになり、観光による交流拡大の时代となった。中国を访れる日本人観光客の性别・年齢・职业等の构成は、年を追って多様化の様相を呈し、観光形态も団体型に加えて个人旅行が増加し、観光需要の多様化がみられるようになっている。
第2章 访日中国人観光客受け入れの现状
中国と日本は昔から「一衣帯水」とよばれてきた隣国であり、文化的にも深い関系にあるため、中国の国际観光业の振兴は日本人の来访を除いて语ることができない。これに対し、访日中国人旅行者数は、1994 年から坚调に推移、1999~2002 年は、4 年连続して対前年比2ケタ増となった。2005 年、中国からの访日旅行者数は、约65 万人であり、访问先别ではロシア、ベトナム、韩国、タイに次いで第5 位(香港、マカオは除く)である。2006 年、访日中国人旅行者数は、さらに81 万人に达し、访日客全体に占める割合は11%であった。今后は中国のアウトバウンド志向と日本のインバウンド振兴により、中日観光交流の繋がりがより一层深くなるであろうと述べる。
第3章 访中日本人観光客受け入れの现状
日本人の渡航先は1998 年以降、アジア志向が顕著になった。
2002 年は、太平洋路线が缩小された反面、成田空港暂定滑走路の供用开始に伴う短距离路线の充実化により、アジア地域へのアクセスが供给面で强化された。その结果、米国への日本人访问者数の减少と、中国への日本人访问者数の増加が特に顕著に现れた。そして、同年は、「日中国交正常化30 周年」という大きな节目の年にあたり、それを记念して両国间で「中日交流年」が制定され、中国国家観光局は日本の国土交通省および観光関连企业と大规模な観光キャンペーンを行った。
2003 年は、3 月にイラク戦争が爆発し、また、东アジア地域を中心に重症急性呼吸器症候群(SARS)が感染拡大したため、2003 年日本人海外旅行者数は、前年比19.5%减の1,330 万人と大幅に减少した。
中国は 05 年4 月の各地での反日デモ以降、中国に対するイメージ悪化により、6 年3 月まで、访中旅行者が减少していたが、4 月以降は回复した。中国への旅行需要増に伴い、中日间の航空输送力が相次いて増强されたのも、追い风となった。
この章では、日本人访中旅行の未来と世界から热い注目を浴びている中国観光の魅力を検讨する。
5
第4章 国际観光おける中日観光交流
1973 年から、现在まで、国际観光における中日両国间に、様々な分野で交流する実例を挙げ、访日修学旅行における、若者交流を主として述べる。そして、両国参加者の感想と提言、および交流结果など、资料を収集し、中日観光交流の现状と问题点を検讨する。
第5章 中日観光交流における将来への提言
中日両国は一衣帯水の近隣で、日本は中国を访问する観光客数が最大の国の一つであり、同时に、日本国际旅行市场に占める中国の地位は、ますます重要になっている。中日両国が各方面において交流と协力を强化し、理解を促进することは、中日観光产业の共同発展の促进において重要な意义を持っている。21 世纪の中日両国にとって、観光业の発展には、互いの存在が欠かせないものとなる。そのためには市民レベルの自然体の交流を通じ、お互いを知り、そして相互理解と信頼関系を构筑していくことが必要で、中でも素直で柔软な発想のできる青少年时代の交流が极めて効果があり、积极的に推进していくべきだと提言する。
结论
周知のように、中国は社会主义体制の下にあるが、早くから日本との観光交流が始まった。また、多くの日本人が、中国観光に访れている。一方では、中国人の日本への観光旅行は、自国の要因、受け入れ国の制限要因などがあり、完全に自由化されたという段阶に入っていない。そのため、中国人の日本への観光访问者は、比较的に少なく、その意味では、「一方通行」の交流であるのが现状である。しかし、最近では、中国人の団体としての日本への観光访问が大幅に缓和され、今后、中国と日本の间には「双方向的」の観光交流が生まれることが期待される。21 世纪は、観光という视点から见た场合、人类の大交流の时代だと言えるだろう。これは世界観光机関の予测によるものである。この机関の発表では、2020年には、すなわち13 年后には、世界の観光人口が约16 亿に达すると予测されている。これは、现在の世界総人口の実に4分の1に相当する。また、予测では、2020 年には、东アジア・太平洋を访れる観光者の数は约4 亿3,800 万人で、世界第2位になる。中国と日本は、アジアの大国であり、中日友好関系は両国政府、人民にとって、极めて重要なだけではなく、広くアジア、世界にとっても重要なことである。観光大国を目指す中日両国は、観光による双方向の交流拡大と相互理解の増进は、両国人民に利益をもたらし、そして、互いに协力し合って诸问题の早期解决を実现するため、観光交流促进を积极的に进めるべきである。両国の间には、小さな困难があるが、长い目で、観光交流の拡大を考えなければならない。それは同时に、両国が共に位置するアジア地域の平和に贡献することとなるであろう。
参考文献
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日本交通公社 编 『観光ビジネスの手引き』(东洋経済新报社)1992 年 10 月
淡野 明彦 著 『観光地域の形成と现代的课题』(古今书院)1998 年2 月
冈野 英伸 著 『観光学论考』(株式会社アートデイズ)2004 年6 月
総合観光学会 编 『観光の新たな潮流』(同文馆出版株式会社)2003 年11 月
中部の観光を考える百人委员会事务局编 『中部の観光を考える』(交通新闻社)2001 年7 月
王 文亮 著 『中国観光业详说』(日本侨报社)2001 年10 月
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赵 长华 主编 『旅游概论』(旅游教育出版社) 2000 年7 月
安村 克己 「国际観光の発展と観光研究体制の成立」、『北见大学论集』第22 巻第1
号、1999 年6 月
小岛 侑夫 著 『よく分かる旅行业界』 日本実业出版社 2002 年4 月
国际観光进行机构(JNTO) 国际観光白书2003 年版
国际観光进行机构(JNTO) 国际観光白书2004/2005 年版
国际観光进行机构(JNTO) 国际観光白书2006 年版
国际観光振兴机构(JNTO) 「日本访日教育旅行検讨会报告书」 2005 年9 月
想写一篇关于中日对于垃圾处理对比的毕业论文,希望大家写过这方面的帮忙列个提纲或提供点材料,谢谢了
中日城市垃圾处理的比较研究
金式容 杜秀宗 胡彦斌 陈周明
(华侨大学经济管理学院,泉州,362011)
摘 要 本文通过对中日两国垃圾处理流程和管理体制进行
比较研究,提出成立专业化拉圾服务企业,实行垃圾有偿服务、
严格生活垃圾分类放置、规范拾荒者队伍等措施以提高城市垃
圾的减量化、资源化、无害化程度。
关键词 城市垃圾;企业化经营;分类放置;拾荒者;中日比较
1 我国城市垃圾处理现状
据有关数据显示,我国进入20 世纪90 年代以来每年的垃
圾生成量已达1. 0 亿t 以上,历年累积垃圾已达60 多亿t ,人均
年产垃圾440kg。按9 %的增长率推算,到2010 年中国城市垃
圾生成量将高达2. 4 亿t 。目前,我国垃圾占用土地5. 4亿m2 ,
且每年以占地约3 000 万m2 的速度发展,全国2/ 3 的城市已经
陷入垃圾重围。以北京为例每天要产生490 多万t 垃圾。北京
附近现有7 000 多座“垃圾山”,约533hm2 耕地被占。从垃圾处
理方法看,70 %城市垃圾直接填埋。填埋不仅占用大量土地,
又因大多无渗沥液处理设施而造成对地表水、地下水、土壤在
大气的污染。焚烧法不仅产生SO2 ,NO2 ,CO ,粉尘等大气污染
物,而且它们在含氯塑料存在下还会产生光气和二口恶英等有
毒气体,后者还具有致畸致癌作用。这些都严重影响居民生活
环境。由此可见,今后相当长一个时期我国城市垃圾处理的任
务十分繁重。
面对数量如此庞大的垃圾,我国现有垃圾管理体制还不健
全。政府既执行监管职能,又具体组织垃圾的清运及最终处
理,呈现“政企不分”的局面。另外,由于整个垃圾处理行业缺
乏资金投入和科技投入,缺少宣传和舆论导向,城镇80 %以上
的垃圾只是简易填埋处理。无害化处理率很低。基本上没有
垃圾减量化、资源化、无害化的“三化”处理机构。不仅垃圾污
染严重,也造成了可利用资源大量流失。因此,必须把垃圾处
理推向市场,实行垃圾处理向产业化发展。并建立与其相适应
的管理体制,推动城市垃圾处理向无害化、资源化、减量化迈
进。在这方面,日本城市垃圾处理的各项有关措施和管理体制
可供我们学习和借鉴。
2 我国城市垃圾处理及存在问题
沿袭原有计划经济体制管理模式,我国城市垃圾处理仍然
是国家行政部门直接管理和实施。仅有少数企业参与了对部
分的“可再生利用垃圾”实施回收再利用. 作为垃圾资源化基础
的垃圾分类这一环节十分薄弱。而倒是城市拾荒者在垃圾分
类
经济论文达人进——中日贸易关系的现状问题及对策
中日经贸关系的现状与问题
中日经贸合作是中日两国利益的最大交汇点,是密切中日关系的重要因素。1972年中日邦交正常化以来,两国经贸关系向着互惠互利的方向发展,总体上保持了良好态势.促进了两国关系的全面发展。实践证明,努力实现中日经贸的互利合作、共同发展,是符合两国根本利益的唯一正确选择。
加强中日经贸合作,是两国优势互补、共同发展的客观需要。当今世界是开放的世界,中国的发展离不开世界,世界的发展离不开中国。对外开放是我国的一项基本国策。作为一个发展中的大国,要加快改革开放和现代化建设事业的发展,必须保持一个良好的外部环境,积极推进同各国发展经济等方面的友好合作。日本是当今世界仅次于美国的第二大经济强国,拥有资金、技术等方面的优势,是我国第三大贸易伙伴国、第三大外资来源地和我国引进技术的主要来源地,在我国对外开放格局中居于重要的地位。中国巨大的市场和活跃的商机、丰富的劳动力资源和智力资源,又是日本经济发展所特别借重的。近年来日本对我国出口大幅上升,中国已成为日本增长最快的出口市场。双边贸易总额继2002年首次突破千亿美元大关后,2004年达到了1600多亿美元。中日经贸关系的快速发展,拉动了两国经济的增长,促进了在科技、教育、旅游等各个领域的广泛合作。但是近一段时间以来,由于日本在历史等一系列问题上的错误言行,伤害了中国人民的感情,引起了中国人民的强烈不满。因此,社会上有人提出“抵制日货”,这在感情上是完全可以理解的,如果这样做是完全不妥的。在国际经济相互依存、“你中有我、我中有你”的情况下,盲目抵制日货,就会损害双方生产者和消费者的利益,既不利于双方取长补短、优势互补,也不利于我们很好地实施“引进来”、“走出去”的对外开放战略,最终会损害我国的整体利益,影响我国的发展大局。我们应当立足于维护我国人民的根本利益,从推进改革开放和现代化建设事业的战略高度出发,积极促进中日两国经贸关系的健康发展。
加强中日经贸合作,有利于促进中日两国关系的健康发展。互惠互利的经贸合作是发展两国政治关系的重要基础,而稳定健康的政治关系又是推进两国经贸合作的重要条件。在新的形势下,中日经贸合作优势互补的特点不仅没有削弱,反而更加突出;中日两国在地区和国际事务中的利益交汇点不仅没有减少,反而越来越多。加强中日经贸合作,对于发展长期稳定的中日友好合作关系,今天比过去更具有重要的现实意义。但令人遗憾的是,日本在历史、台湾等问题上的一些做法违背了自己的承诺,背离了中日关系的政治基础,使当前中日关系陷入困难局面。如果这种不和谐的政治关系持续下去,必然有伤于两国经贸合作的发展。日本应当以严肃慎重的态度处理好影响中日关系顺利发展的矛盾和问题,将自己的承诺落实到实际行动上,为促进双边经贸关系的发展营造必要的条件和良好的氛围。
加强中日经贸合作,符合经济全球化和区域经济合作的时代潮流。当前,经济全球化的步伐明显加快,世界各个国家和地区之间在经济领域的相互影响、相互依赖日益加深。中日经贸合作已逐步形成了你中有我、我中有你的局面,达到了彼此利益交融密不可分的程度。21世纪的亚太地区又是世界上最有活力的地区,随着亚太各国经济快速发展,建立经济共同体的呼声日益高涨。中日两国作为世界和亚洲的两个重要国家,应当深刻认识加强两国经贸合作的重大意义,努力协调和解决相互间的矛盾和问题,为区域经济合作的实现,为世界经济的繁荣发展作出应有的努力。
“风物长宜放眼量”。中日经贸关系的良好局面来之不易,值得倍加珍惜和精心维护。中日两国都应该登高望远,本着对历史、对人民、对未来高度负责的态度,从维护中日友好、维护亚洲的稳定和发展大局出发,采取切实措施,尽快扭转目前中日关系面临的困难局面,积极推进中日两国的经贸合作与交流,努力促进中日两国关系稳定健康地向前发展
关于中日关系的现状:
【2008年】
1月5日至6日,中日共同历史研究第三次全体会议在北京举行。
1月27日至28日,新一届中日友好21世纪委员会第七次会议在北京举行。双方委员围绕落实福田首相访华成果、确保胡锦涛主席访日成功这一主题广泛深入交换了意见。
2月19日,全国人大与日本参议院定期交流机制第二次会议在北京举行。吴邦国委员长会见来华出席会议的日参议院代表团,就中日关系等交换意见。
2月20 日至24日,国务委员唐家璇应邀访问日本。期间,分别会见福田康夫首相、外相高村正彦、众议院议长河野洋平、参议院议长江田五月、前首相安倍晋三以及各政党党首等,出席日本各界人士招待会。结束东京日程后,国务委员唐家璇赴大阪和奈良参观访问。
2月26日至3月1日,日本自卫队联合参谋长斋藤隆访华。
3月15日,中日青少年友好交流年中方开幕式在北京举行,胡锦涛主席出席开幕系列活动,与两国青少年进行了交流。
3月31日,中日第八次防务部门安全磋商举行。
4月15日至16日,日本执政两党干事长伊吹文明和北侧一雄访华,胡锦涛主席会见。
4月17日至20日,杨洁篪外长访日,为胡主席访日做最后阶段的政治准备。
5月6日至10日,胡锦涛主席对日本进行国事访问,被称为“暖春之旅”。访问取得丰硕成果。双方发表《中日关于全面推进战略互惠关系的联合声明》,这是中日第四个政治文件。双方还发表了《中日两国政府关于加强交流与合作的联合新闻公报》,确定了当前落实联合声明的70项具体举措。双方就增进政治互信,促进人文交流,深化互利合作,共同致力于振兴亚洲及应对全球性挑战达成广泛共识。
5月8日,中日青少年友好交流年日方开幕式在东京举行,胡锦涛主席、福田首相出席。
二、 经贸关系
(一)中日贸易
日本是中国主要贸易伙伴。截至2003年,日本连续11年为中国第一大贸易伙伴,2004年被欧盟、美国超过,退居第三。
2007年中日贸易保持较快增长势头,进出口总额为2360.2亿美元,同比增长13.9%。其中我对日出口1020.7亿美元,同比增长11.4%;我自日进口1339.5亿美元,同比增长15.8%。中方逆差318.8亿美元。
(二) 日本对华投资
日本是我第二大外资来源地。2007年日本对华直接投资项目数为1914个,同比下降20.6%,实际到位金额35.9亿美元,同比下降20.8%。截至2007年底,日本对华投资累计项目数为39628个,实际到位金额617.2亿美元。
(三) 日本对华资金合作
1、日元贷款
日本对华日元贷款始于1979年,双方商定2008年前结束对华日元贷款。2007年12月,两国外长签署日本对华最后一批日元贷款换文,至此,日本政府累计向中国政府承诺提供日元贷款约33164.86亿日元(约合33 0亿美元)。截至2007年9月,我实际利用日元贷款约25207.33亿日元,用于255个项目的建设。日本对华日元贷款占我国利用外国政府贷款的50%左右。
2、无偿援助
截至2007年底,中国共接受日本无偿援助累计1398.25亿日元,用于141个项目的建设,涉及环保、教育、扶贫、医疗等领域。2008年5月双方签署2008年援助协议,日方将于本年度内向中方提供5.77亿日元援助。
3、“黑字还流”贷款
1988年和1994年日本进出口银行两次向中方提供“黑字还流”贷款,共计1400亿日元。
三、文化交流与合作
新中国成立后,中日两国一直保持民间文化交流。主要形式有文艺演出、艺术和文物展览、学术和人员往来等。其中,1972年上海舞剧院访日演出等一系列重要文化交流活动为中日邦交正常化做出了积极贡献。
1979年12月,两国签署《中日文化交流协定》,确定了发展两国文化、教育、学术、体育等方面交流的目标。在双方共同努力下,中日文化交流与合作全面发展,呈现出官民并举和多渠道、多形式的新局面,其范围之广、规模之大、数量之多、活动之频繁、内容之丰富,在与中国有文化交流的国家当中处于领先地位。中日文化交流呈现以下特点: 一、共同文化渊源深厚,文物、书法、诗歌、水墨画、戏剧(京剧、歌舞伎)等传统东方文化的交流独树一帜。 二、民间交流占据主体。据统计,目前民间文化交流约占文化交流总量的95%以上。
近年来,双方在商业展演、音乐影视、动漫游戏等新兴文化产业领域的交流与合作蓬勃发展。目前,日本已成为中国最重要的文化贸易伙伴之一。
近年来,中日两国举办了众多大型文化交流活动。1999年我在日本举办“99东瀛行”活动,日方在华举办“日中文化友好年”活动;2002年中日邦交正常化30周年之际,中日两国共同举办了“中日文化年”活动。2007年为“中日文化体育交流年”,全年共举办300多场活动,取得良好社会效果。2008年为中日青少年友好交流年。2008年5月,双方签署中日关于互设文化中心的协定。
四、科技交流与合作
中日邦交正常化以后,双方于1980年签署《中日政府间科技合作协定》,建立起政府间科技合作关系。此后,两国的科技交流与合作发展迅速,规模不断扩大,形成了多形式、多渠道、官民并举的局面。特别是在应用技术合作方面成绩显著,为我国社会经济发展、科技进步起到了积极作用。
现在中日政府间的科技合作主要包括:根据《中日政府间科技合作协定》开展的合作,在政府科技合作协定框架下两国政府部门的对口合作(包括部门间签署的合作协议等),通过日本国际协力机构(JICA)渠道的技术合作以及《中日核能合作协定》等。此外,双方许多部门、地方、研究院所、大学都开展各种形式的交流与合作,对促进两国科研人员的交流、开展合作研究等发挥了很好的作用。
近年来,伴随中国建设资源节约、环境友好型社会,双方节能环保领域技术合作发展迅速。2007年底福田康夫首相访华时双方签署了《中日两国政府关于进一步加强气候变化科学技术合作的联合声明》。
五、军事交流与合作
中日两国于1974年互设武官处,70年代末开始军事交流,关系发展良好。1989年后两国军事交流一度中断。1995年日本防卫厅参联会主席西元彻也访华,中日军方高层交往得以恢复。1998年实现国防部长互访。2000年实现两军总参谋长互访。2007年8月,国防部长曹刚川访日。11月,中国军舰在二战后首次访日。1997年至2008年,中日防务部门举行了8次安全磋商。中日双方还在防卫医学、院校和学术研究等领域开展交流。2008年5月胡锦涛主席访日时,双方同意加强防务交流,日防卫大臣将于年内访华。
中日关系现状及未来发展趋势?
现在中日关系总的来说还是冷的 , 虽然近来两国高层交流不断,,但是在一些敏感问题上还是有很大分歧的 ,组最典型的 钓鱼岛 问题 ,另外还有台海问题,历史遗留问题等等。 在以后的发展中,中日还会有更多的问题,,日本是岛国,资源全部依赖进口,与实施运输 就是大问题,而日本运输船都是从台湾海峡通过 ,日本怕中国统一台湾以后会切断他们的海路,素以他们会百般阻挠, 所以预计 2020年中日还将一战。。。
中日关系的历史,现状,及未来发展
历史上中日之间从未同时强盛,所以两国谁强盛,另一个就是附庸或者被侵略,被压迫。
现在两国同时强盛,必然出现对立与分歧,可能要互相僵持数十年以上。
未来我想大家都会明白和则两利,战则皆亡的道理两国的关系可能像英国和法国,总的来说都属于同一个东亚联盟之中,然后在内部会在理性的规则中争夺联盟主导权,这一联盟应包括东亚,东南亚以及太平洋一些国家,这一联盟的首领之争中,统一后的朝鲜,印尼,越南以及澳大利亚都会有一定的影响力。
中日关系集中体现和浓缩了国家关系的复杂性,它既是邻国关系,又是大国关系;既是“东西”关系,又是“南北”关系;既有历史上和平与对立的双重关系,又有现实中依存和竞争的双重关系。中日关系正处于历史上的关键时期,正确看待和处理中日关系,是两国人民,特别是两国政治家义不容辞的历史责任。从战略角度看待和处理中日关系是唯一正确的选择。从战略角度看待和处理问题,主要就是从历史、全局、未来角度思考问题和处理问题。
一、要善于从历史角度看待和处理中日关系
“以史为镜,可知兴衰”。中日关系的现状很大程度上与中日关系的历史相关,“以史为鉴”就成为处理中日关系的基础和前提。在中日邦交正常化的时候,中国就把“以史为鉴,面向未来”作为指导中日关系的基本原则。“以史为鉴”的“史”,即中日关系的历史,如何理解和看待中日关系史,并从中找到可供借鉴的经验教训,将是两国人民必须完成的历史课题和现实任务。
提到中日关系史,历史上的中日甲午战争和日本侵华战争就历历在目,它给中国人民造成的伤害刻骨铭心。难怪人们在中日关系上一提到“以史为鉴”,就会自然想到这一段历史,并把这一段历史上升到民族尊严和国家荣辱的战略高度。这样理解中日关系史并不算错,但不能算全面和正确。周恩来总理当年曾用十个字说明中日关系历史,即“两千年友好,五十年对立”。“两千年友好,五十年对立”,这是中日关系历史最全面最准确的说明和表达。中日关系,从历史的角度讲,友好是长期的,对立是短暂的;友好是历史主流,对立是历史主流中的“艰难和辛酸”的一页。只看见“五十年对立”而无视“两千年友好”,或只看见“两千年友好”而无视“五十年对立”都是不全面的,都会得出错误,甚至有害的结论。
“两千年友好”使中日长期和平,并共同发展。中日两国的交往,可以追溯到两千多年前的汉朝,唐朝是两国文化交流的高峰期,既有日本使者云集长安,又有鉴真和尚东渡日本。在漫长的交往过程中,中国的文化得以传播,日本的文化得以迅速发展。在一衣带水的地理关系上,慢慢地形成了具有许多相同因素的东方文化观念和社会结构。就是到了近代,两国也不约而同地开始了推动社会发展的“戊戌变法”和“明治维新”,充分说明了两国在社会自身发展周期和韵律上的“近似性”。“两千年友好”,使两国人民长期享受和平邦交环境,长期享受彼此文化营养,长期享受社会文明成果。就是中日甲午战争后,仍然有孙中山、鲁迅、郭沫若、周恩来等人为了革命及两国友谊的需要,来往于中日之间。“两千年友好”的历史证明,“和则两利”,和处才能共生,和谐就会共赢。
“五十年对立”使中日关系破裂,社会停滞不前。日本“明治维新”后,在其迅速强大的国力支持下,忘记了两国两千年友好的历史传统,扩张野心膨胀,悍然挑起了“中日甲午战争”,使中国人民蒙受耻辱。几十年后的侵华战争,在中国人民未愈的伤口上,日本军国主义又犯下滔天罪行。两场战争在半个世纪中发生,使两国人民祖祖辈辈辛辛苦苦创造的财富瞬间破坏殆尽,使两国“两千年友好”的历史传统突然断裂,使两国人民失去了和平稳定,饱受着战争的煎熬和战争创伤的折磨。两场战争使中国社会倒退、国家分裂,使日本的繁荣瞬间变成废墟,国家主权受到限制。“五十年对立”的历史证明,“斗则两伤”,对立必然同输,战争一定同败。
如果说“两千年友好,五十年对立”的中日关系历史,仅仅证明了“和则两利,斗则两伤”的文明智慧显然是不全面的。“两千年友好”的关键是什么,“五十年对立”的关键是什么,今人必须认真总结。“两千年友好”的关键在中国。在“两千年友好”历史中,中国一直处于领先地位,但中国并没有利用领先地位向日本扩张,更没有发动战争,而是信守睦邻友好的民族传统,结果于己于人都有利。“五十年对立”的关键在日本,在“五十年对立”历史前后,日本发展快于和强于中国,日本在发展领先后有恃无恐,野心膨胀,向外扩张,结果于己于人都有害。如何看待和对待自己的领先地位,如何看待和对待自己的大国地位,正确的做法是:领先而不称霸,强盛而不扩张;领先不忘睦邻,强盛更要友邦。
二、要善于从大局的角度看待和处理中日关系
中日关系正处于关键的敏感时期,处理不当,就会对大局造成不利影响。从大局出发看待和处理中日关系,最为重要。中共中央十六届四中全会的决定指出,要把国家利益和各国人民的共同利益作为判断国际事务和国家关系的根本标准。何为大局?国家利益和各国人民的共同利益就是大局。和平和发展就是我们的国家利益,就是世界各国人民的共同利益,就是中日关系中的共同利益。顾全大局,维护国家利益和世界各国人民的共同利益就成为包括中国在内的国际社会成员的神圣使命。
和平和发展是当今时代的主题,也是当今世界的大局。在饱受20世纪前半期的战争蹂躏和中期的冷战恐吓后的21世纪,人类最需要的就是和平与发展。和平与发展是大势所趋,人心所向。在此大背景下,中日关系必须服从和服务于和平与发展的世界大局。中日关系既是重要的双边关系,又是重要的国际关系,既影响着双方,又影响着世界,必须慎重处理。
进入21世纪后,中日两国都进入重要的历史时期。日本经过二战后半个多世纪的发展,经济上已经成为世界强国,由于二战原因,日本的政治军事国际地位受到限制,现在正积极推动从经济强国向政治经济强国的转变;中国经过20多年的改革开放,经济实力和综合国力不断增强,正在实现从传统的政治大国向经济政治大国的转变。中日两个国家都处于向更高的国际地位、更重要的国际角色转变过程中,两国的经济总和对世界经济影响很大。中日两国都处于亚洲,又是近邻,又有历史遗留问题,必然产生各种各样的摩擦。如果对两国摩擦不能正确对待和处理,势必对世界和平与发展构成威胁,成为世界和平发展大局中的消极因素。中日两国应从世界和平发展大局出发,正确对待和处理两国在向重要的国际角色、国际地位转变过程中产生的摩擦。
为了使中日关系处理中具有大局意识,至少有两点需要重点加以解决:一是正确认识世界大国应当承担和履行的国际责任。中日都是世界性大国,主观和客观上都在向综合性世界强国迈进,但在成为世界强国之前,必须做好充分的心理准备。这个心理准备就是对世界和平发展大局有深刻认识,对历史问题有深刻反思,愿意为世界和平发展作出贡献。对日本来讲,首先就是对历史上给世界和平发展造成的破坏进行真正反省,对其侵略行径对亚洲各国造成的伤害进行忏悔和道歉,并用其和平发展道路及对世界,特别是对周边国家的睦邻富邻实践,取得相关国家和人民的信任,真正用实际行动证明自己是世界和平发展的推动者和建设者。对中国来讲,首先要以世界和中日大局为重,正确认识和处理中日关系中的摩擦,不以暂时的关系紧张而牺牲未来,不以局部的不和谐影响两国的全面关系。多作有利于和平发展的努力,不作激化矛盾扩大紧张的举动,是中日两国必须履行的国际义务,也是大国形象的基本要求。二是中日两个世界大国在各自向世界强国转变过程中,必须做到相互理解相互尊重相互支持。中日同属亚洲,又都处于东北亚,在各自向世界强国转变中不可能没有竞争关系,不可能不产生摩擦,关键在于如何理解和处理这种竞争关系及摩擦。从世界格局演变的历史看,区域发展和区域一体化,既有以美国为单一核心的北美自由贸易区,也有以法德为双核心的欧洲国家联盟,还有多核心的东南亚国家联盟。中日两国在亚洲,特别是在东北亚发展中具有举足轻重的作用,在未来的亚洲一体化,特别是东北亚一体化过程中,中日应当成为双发动机,共同推动包括东北亚在内的亚洲,乃至世界的和平与发展。
中国在21世纪的大局及国家利益很清楚,那就是维护和平的国际环境,保持国家稳定,促进社会发展。和平的国际环境,特别是和平的周边环境,是当前中国的重要国家利益,这是因为和平的国际环境和周边环境,是保持国内稳定和促进社会发展的基本条件和前提。没有和平的环境,什么都谈不上。中日关系是周边环境和周边关系的重要因素。保持国内稳定是当代中国的根本利益,社会稳定是社会发展的基础,又是人民和谐生活的保证,更是社会文明的重要体现。周边关系摩擦会影响国内稳定,国内人们情绪不稳更会威胁稳定。促进社会发展是当今中国的核心利益。“发展才是硬道理”,中国是一个发展中国家,人均国民生产总值位于世界后列。日本是一个发达国家,人均国民生产总值位于世界前列,发展对于中国的重要性远远比对日本更重要。发展问题解决不好,中国就不能真正屹立于世界强国之林。
经过20多年的发展,中国已成为日本最大的贸易国,日本与美国、欧盟一起成为中国的前三大贸易国,经济利益你中有我、我中有你,存在着巨大的共同利益。中日关系直接关系到维护和平国际环境、保持国内稳定、促进社会发展的国家大局和国家利益。在此大局面前,人人必须清醒,处处必须理性,一切爱国情感和行为必须服从和服务于国家大局和国家利益。有利于大局和国家利益的感情和行为,就是爱国,否则就会走向爱国的反面。
三、要善于从未来的角度看待和处理中日关系
“以史为鉴,面向未来”,其中“以史为鉴”是前提,是基础,“面向未来”是目的,是根本。中日作为亚洲乃至世界上的两个大国,应该对亚洲的未来和世界的未来作出贡献。必须以未来目标和未来要求引导过程行为、制约过程行为。对于中国来讲,从未来角度看待和处理中日关系就显得极端重要。
未来的世界应当是和平发展的世界,未来的国际秩序应当是公正合理的新秩序。中国是建立国际新秩序的倡导者和推动者,应当为建立国际新秩序作出努力、作出贡献。用理性和和平方式解决国际关系和国家争端,是建立国际新秩序的重要实践。亚洲,特别是东亚的持续发展,必将在未来国际秩序中扮演重要的角色,发挥重要的作用。中国建立国际新秩序的努力理应从亚洲开始,东北亚新秩序的建立定将首当其冲。中国负责任大国形象在处理东北亚国家关系和新秩序建立中接受着考验。不以现在代表未来,不以当前牺牲长远,不以情感代替理智,不以对抗牺牲合作,就是我们应当具备的正确态度。社会各界,特别是青年学生,应当理解、支持国家和政府在建立国际新秩序、树立负责任大国形象方面所作的任何努力,决不能因为一时冲动作出的过激行为使我国建立国际新秩序和树立负责任大国形象的努力遭受挫折,甚至成为他国误解和攻击的理由。
一体化是亚洲,也是东北亚未来的基本走向,东亚各国在这个问题上存有共识,并且在作着各种努力和实践。中国是其中的积极参与者和推动者,亚洲一体化,东北亚一体化符合中国、符合地区各国的根本利益。中国和日本是亚洲有重要影响的大国,是东北亚的核心国家,两国关系直接关系到亚洲未来一体化,东北亚未来一体化的建设。中国和日本都是“10+3”的成员,都是未来这一地区自由贸易区主体国家,都是自由贸易区的倡导者和推动者。中日关系如何,直接影响到这一地区自由贸易区的建设和一体化的进程。从亚洲未来和东北亚的未来着眼,中国和日本应当彻底解决历史问题,放下包袱,共同融入区域一体化进程中,在一体化进程中发展,在一体化进程中强大。区域一体化对中国更为重要,它既可以保证中国和平的周边环境,又可以改变世界不合理的经济政治格局;既可以促进中国的发展,又有利于中国负责任大国形象的树立,更有利于国际新秩序的建立。基于此,我国应当妥善看待和处理当前的中日关系,善于用大智慧看待问题,善于用大勇气处理问题。大智大勇的核心就是以地区和平稳定、地区一体化的未来大势巧妙解决中日摩擦和化解各种消极因素。
构建社会主义和谐社会,全面建设小康社会,实现现代化,实现民族的伟大复兴,这些都是未来中国的核心利益。这些未来核心利益的实现,都依赖于从现在起“聚精会神搞建设,一心一意谋发展”,任何松懈、怠慢或者被其他因素干扰,都将严重影响或阻碍未来中国核心利益的实现。邓小平曾明确指出,除非发生了大规模的外来入侵,否则我们都应当牢牢抓住发展生产力不放。现在,实现未来中国的核心利益,恰遇重要的战略机遇期,抓住机遇,促进发展就是我们的当务之急。邓小平讲,我们曾经丧失过大的机遇,现在再也不能失去机遇了。20世纪50年代以后,世界出现了有利于发展的重要机遇期,我们没有抓住,日本则抓住了,当我们“噩梦”醒来的时候,我国经济几乎到了崩溃的边缘,而日本则在战争废墟之上,发展成了世界经济强国。21世纪初,世界又出现了有利于发展的重要战略机遇期,对于中国来讲,真是千载难逢,只能抓住,不能放弃,也不能受干扰。当前中国正处于实现未来民族核心利益的关键时期,任何局部的暂时的不和谐因素都要关注和重视,决不能使不和谐因素影响到未来中国核心的实现。“小不忍则乱大谋”。中日关系虽然复杂,虽然责任在于日方,但处理不好,对中国影响更大。我们要善于从未来中国的核心利益出发看待和处理中日关系,从暂时看,问题很大、麻烦很多,但从未来中国核心利益看,就是另外一番景象了。
中日关系必须妥善处理,从战略高度,即从历史、大局和未来角度看待和处理中日关系当是理性选择和最佳方式。
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